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市史編さん草子「市史で候」 四十四の巻 「消えた泉と音の記憶 清瀬鉄道物語~武蔵野線編~」

更新日:2019年04月25日

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四十四の巻:「消えた泉と音の記憶」 清瀬鉄道物語~武蔵野線編【平成29年12月22日更新】

四十二の巻で「清瀬鉄道物語~西武線編」をお届けしました。
今回は、武蔵野線編。
西武鉄道の前身、武蔵野鉄道、ではなくて、JR東日本の武蔵野線のお話です。

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武蔵野線の開通は、昭和48(1973)年。
開通当時は「国鉄」武蔵野線でした。

この年、府中本町から、千葉県の新松戸まで開通。

長い区間をカバーしていることから、区間ごとに西線、東線のように呼び分けられ、清瀬に近いところでは府中本町と南浦和の区間を「武蔵野西線(むさしのさいせん)」と呼ぶ人もいます。

 武蔵野線と清瀬 


西武線には、市内に「清瀬」と「秋津」という2つの駅がありますが、武蔵野線の場合、市域には乗り降りできる駅がありません。
最寄駅は「新座」、「東所沢」あるいは「新秋津」です。
武蔵野線に乗るには、直接これらの駅に出るか、あるいは、西武線で秋津まで出て「新秋津」で武蔵野線に乗り換えるか、です。

清瀬では、新座―東所沢間にあたる線路が市の北部を通っていて、市境に近い旭が丘6丁目から新座市にかけては、新座貨物ターミナルがあります。

武蔵野線は、旅客と貨物、両方の列車が走っていますが、夜遅い時間に通り過ぎる貨物列車の音は、下宿や旭が丘など線路が通っている地域に限らず遠くまで響いていて、清瀬の音の記憶として多くの人の脳裏に刻まれていると思われます。

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進む高架工事
さてこの武蔵野線の敷設工事、線路の予定地には、民話「こわしみず」で知られた泉がありました。

野良仕事の帰りに渇きを癒そうと父親が泉の水を口にするとお酒、でも、こどもが飲むと「水」だったという、子は清水「こわしみず」のお話*1 の舞台です。

ところが、泉は工事に伴って姿を消してしまいました。

おとうさん、ざんねん。

泉が消えただけでなく、武蔵野線の開通と前後する時期は、清瀬の北部地域で風景が大きく変わっていった時期でもありました。

現在の下宿地域は、かつて「清戸下宿」と呼ばれた古くからの村で、市域でいちばん古いお寺である円通寺があり、古文書の調査から俳句をたしなむ文化を誇る村だったこともわかってきています。
柳瀬川に沿った地域には、水田が広がっていました。

最初に大きく風景を変えたのは、昭和42(1967)年にできた旭が丘団地でした。
この団地ができて「旭が丘」の地名が生まれ、清瀬が市になった昭和45(1970)年にも町名整理が行われて、もとの清戸下宿の地域は、「旭が丘」と「下宿」に分かれ、今に至っています。*2

続いて、旭が丘団地の敷地をくぐり抜けるように、昭和46(1971)年に関越自動車道が通り、
翌昭和47(1972)年には、下宿から中里にかけて柳瀬川沿いの水田あとに台田団地が建設されました。

台田団地と武蔵野線
右の写真手前に写っているのが台田団地、写真奥、左右に伸びる白い線が武蔵野線です。

写真中央に、昭和52(1977)年にできた下宿地域市民センターが写っています。

どの建物もまだ新しい感じで、植込みの木々も若々しい高さです。

左奥に写っている茂みが城山です。


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セリ摘みの親子
昭和42年の「町報きよせ」5月15日号に、同じく城山の茂みが左奥に写っている写真を見つけました。

五月晴れのある日「金山橋付近柳瀬川の田んぼあとで、セリつみを楽しむ親子連れ」とあります。

セリ摘みの親子には、台田団地に先立つ旭が丘団地建設の槌音が聞こえていたかもしれません。

古い写真の野原を横切って走り始めた武蔵野線は、以来ずっと、清瀬の人々の日々の暮らしを見続けてきたのですね。


清瀬鉄道物語~武蔵野線編「消えた泉と音の記憶」
静かな夜、走り抜ける列車のゴトンゴトンという音の余韻に耳を傾けると、「緑と清澄な大気の住宅都市」*3 清瀬が紡いできた物語が聞こえてきそうです。
そして、もしかすると地下に眠る泉の音も。


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写真提供 清瀬市郷土博物館

*1 「こわしみず」のお話はこちらをご覧ください


ご参考まで:清瀬市HPトップページからたどるには
清瀬市トップページ>清瀬市ガイド>歴史・文化>きよせの民話>こわしみず

絵本もあります
「こわしみず ぶたい」 熊谷元一/画 清瀬市郷土博物館 1985



*2 地名変更について詳しくは 市史で候 十八の巻「町名変更の歴史」 をご覧ください。

*3 昭和45(1970)年の「市制施行宣言」の中に
「“緑と清澄な大気の住宅都市”を目途に、明るく住みよい生活環境をととのえていくことを期する」
とあります。


 




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