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ブログ―市史編さん草子「市史で候」最新テーマ:「消えた泉と音の記憶」

更新日:2018年02月05日

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企画部市史編さん室のブログ、市史編さん草子(ぞうし)「市史で候(そうろう)」が平成26年5月30日始動!
市史編さんの進捗状況を報告するほか、清瀬市の歴史・文化・自然を随時紹介。
市史編さん室キャラクター「市史爺(ししじい)」も登場。 清瀬市に関する情報・資料(史料)・思い出も大募集しています。
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四十四の巻:「消えた泉と音の記憶」 清瀬鉄道物語~武蔵野線編【平成29年12月22日更新】

四十二の巻で「清瀬鉄道物語~西武線編」をお届けしました。
今回は、武蔵野線編。
西武鉄道の前身、武蔵野鉄道、ではなくて、JR東日本の武蔵野線のお話です。

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武蔵野線の開通は、昭和48(1973)年。
開通当時は「国鉄」武蔵野線でした。

この年、府中本町から、千葉県の新松戸まで開通。

長い区間をカバーしていることから、区間ごとに西線、東線のように呼び分けられ、清瀬に近いところでは府中本町と南浦和の区間を「武蔵野西線(むさしのさいせん)」と呼ぶ人もいます。

 武蔵野線と清瀬 


西武線には、市内に「清瀬」と「秋津」という2つの駅がありますが、武蔵野線の場合、市域には乗り降りできる駅がありません。
最寄駅は「新座」あるいは「東所沢」です。
武蔵野線に乗るには、これらの駅に出るか、あるいは、西武線で秋津まで出て「新秋津」で武蔵野線に乗り換えるか、です。

清瀬では、新座―東所沢間にあたる線路が市の北部を通っていて、市境に近い旭が丘6丁目から新座市にかけては、新座貨物ターミナルがあります。

武蔵野線は、旅客と貨物、両方の列車が走っていますが、夜遅い時間に通り過ぎる貨物列車の音は、下宿や旭が丘など線路が通っている地域に限らず遠くまで響いていて、清瀬の音の記憶として多くの人の脳裏に刻まれていると思われます。

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進む高架工事
さてこの武蔵野線の敷設工事、線路の予定地には、民話「こわしみず」で知られた泉がありました。

野良仕事の帰りに渇きを癒そうと父親が泉の水を口にするとお酒、でも、こどもが飲むと「水」だったという、子は清水「こわしみず」のお話*1 の舞台です。

ところが、泉は工事に伴って姿を消してしまいました。

おとうさん、ざんねん。

泉が消えただけでなく、武蔵野線の開通と前後する時期は、清瀬の北部地域で風景が大きく変わっていった時期でもありました。

現在の下宿地域は、かつて「清戸下宿」と呼ばれた古くからの村で、市域でいちばん古いお寺である円通寺があり、古文書の調査から俳句をたしなむ文化を誇る村だったこともわかってきています。
柳瀬川に沿った地域には、水田が広がっていました。

最初に大きく風景を変えたのは、昭和42(1967)年にできた旭が丘団地でした。
この団地ができて「旭が丘」の地名が生まれ、清瀬が市になった昭和45(1970)年にも町名整理が行われて、もとの清戸下宿の地域は、「旭が丘」と「下宿」に分かれ、今に至っています。*2

続いて、旭が丘団地の敷地をくぐり抜けるように、昭和46(1971)年に関越自動車道が通り、
翌昭和47(1972)年には、下宿から中里にかけて柳瀬川沿いの水田あとに台田団地が建設されました。

台田団地と武蔵野線
右の写真手前に写っているのが台田団地、写真奥、左右に伸びる白い線が武蔵野線です。

写真中央に、昭和52(1977)年にできた下宿地域市民センターが写っています。

どの建物もまだ新しい感じで、植込みの木々も若々しい高さです。

左奥に写っている茂みが城山です。


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セリ摘みの親子
昭和42年の「町報きよせ」5月15日号に、同じく城山の茂みが左奥に写っている写真を見つけました。

五月晴れのある日「金山橋付近柳瀬川の田んぼあとで、セリつみを楽しむ親子連れ」とあります。

セリ摘みの親子には、台田団地に先立つ旭が丘団地建設の槌音が聞こえていたかもしれません。

古い写真の野原を横切って走り始めた武蔵野線は、以来ずっと、清瀬の人々の日々の暮らしを見続けてきたのですね。


清瀬鉄道物語~武蔵野線編「消えた泉と音の記憶」
静かな夜、走り抜ける列車のゴトンゴトンという音の余韻に耳を傾けると、「緑と清澄な大気の住宅都市」*3 清瀬が紡いできた物語が聞こえてきそうです。
そして、もしかすると地下に眠る泉の音も。


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写真提供 清瀬市郷土博物館

*1 「こわしみず」のお話はこちらをご覧ください


ご参考まで:清瀬市HPトップページからたどるには
清瀬市トップページ>清瀬市ガイド>歴史・文化>きよせの民話>こわしみず

絵本もあります
「こわしみず ぶたい」 熊谷元一/画 清瀬市郷土博物館 1985



*2 地名変更について詳しくはこちらをご覧ください。
クリックすると、十九の巻「昭和のゴミ箱詐欺!?」が出ますが、スクロールすると十八の巻が現れます。
市史で候 十八の巻「町名変更の歴史」

*3 昭和45(1970)年の「市制施行宣言」の中に
「“緑と清澄な大気の住宅都市”を目途に、明るく住みよい生活環境をととのえていくことを期する」
とあります。


 

四十三の巻:「清瀬の象徴」【平成29年11月30日更新】

清瀬を象徴するものといえばなんでしょうか。

人それぞれ思い浮かべるものは異なるのでしょうが、例えばこんなものがあります。

市章
市の花市の木市の鳥


今回は、こうした清瀬の象徴が、いつ、どのようにつくられたのかを掘り下げてみていきたいと思います。


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まずは市章を見てみましょう。

現在は「市章」と言いますが、実はできた時は「町章」でした。
理由はもちろん、清瀬町の時代に制定されたからです。

昭和36年(1961年)3月25日号および4月25日号の「町報 きよせ」に、町章の応募を呼びかける記事が掲載されています。

この年は清瀬町になって七周年。
村から都市へ移りゆく中で「清瀬町を象徴するもの」という条件で募集し、応募資格には制限を設けませんでした。
結果、集まった作品は全部で204点。
そのうち59点が清瀬居住者、145点が清瀬外の居住者で、入賞を見事勝ち取り「町章」に選ばれたのは岐阜県の方のデザインでした。
市章
その形は「キヨセ」の「キ」の字を図案化したもので、円形は団結と平和を、中央の線は発展飛躍を表しています。
そして単純明快でスッキリしており、安定感があることから選ばれました。

以後、「町報 きよせ」の一面に印刷されるようになったこの「町章」は、昭和45年(1970年)に清瀬が町から市になった際も受け継がれ、「市章」として広報紙を始めとした様々なところに組み込まれています。


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一方、「市の花」「市の木」「市の鳥」は、清瀬町時代にはなかったものです。

「市報 きよせ」昭和47年(1972年)12月15日号の一面でこんな呼びかけがなされています。

「市の花 市の木 市の鳥をきめる アンケートにご協力ください」

この市報には、応募のためのハガキがついており、それぞれの候補の中から、これだというものに丸を付けて送れるようになっています。

アンケートをとった背景には、当時の清瀬市が置かれていた状況が大きく関係していました。

昭和30年代半ばから、清瀬にも都市化の波が押し寄せ人口は十年間で三倍に急増する一方、雑木林は減少し、光化学スモッグなどの公害が発生しました。
失われていく緑を何とか残さなければならない。
そんな思いから、昭和47年に「みどりの防衛計画」が作成され、その計画の一つにあったのが「市の花」「市の木」「市の鳥」を指定することでした。

市報の記事にはこう書かれています。

「市民のみなさんから、市の花、木、鳥を選んでいただき、そしてこれらを市の指定として、市民が結婚、誕生、入学などの慶事を記念する記念植樹をしたり日常生活のなかに浸透させ、失われつつある自然を呼びもどし、回復しようと考えています」


では、どんな候補があったのでしょうか。
以下がその候補です。


市の花
 … アジサイ  コブシ  レンギョウ  コスモス  ハナミズキ  ハギ  キク  タマスダレ  カンナ  サザンカ

市の木
 … ケヤキ  コブシ  シラカシ  クロマツ  イチョウ  マテバシイ

市の鳥
 … キジバト  オナガ  コジュケイ  ホオジロ  ムクドリ  シジュウカラ

サザンカ
これらの候補によるアンケートの結果を基に、選定委員が最終的に選んだのが、現在の市の花サザンカ市の木ケヤキ市の鳥オナガだったのです。

「市報 きよせ」昭和48年(1973年)3月15日号に選定理由が記載されています。
オナガはキジバトとその座を争ったようですが、雑木林を飛ぶ姿が美しいことや、多くの市民から親しまれているという点で選ばれました。
緑を守るという「みどりの防衛計画」の主旨の下、ケヤキは公園の木や街路樹に適していることなどが、サザンカは増植がしやすいということなどが、ポイントになったようです。
オナガ
けやき通り

市の木が決められた2年後の昭和50年(1975年)の市報は、都市計画道路の一部完成を伝えていますが、清瀬駅から伸びるこの道路の歩道脇には、市の木となったケヤキが植えられています。
そして更に5年ののち、市制10周年となる昭和55年(1980年)、ケヤキが植えられたその道路は「けやき通り」の愛称が付けられ、清瀬のメインストリートとして親しまれています。


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ケヤキが色づき、サザンカが花開く季節ということもあって、今回はそんな清瀬の象徴がどのように決まったのかをみてきました。
今回取り上げなかった象徴についても、いずれまたご紹介したいと思います。


<参考文献>
「町報 きよせ」 昭和36年3月25日号・4月25日号・7月15日号
「市報 きよせ」 昭和47年12月15日号・昭和48年3月15日号・昭和50年5月15日号

 

このページに関する問い合わせ先

市史編さん室市史係
郵便番号:204-8511
住所:東京都清瀬市中里5-842 健康センター2階
電話番号(直通):042-497-1813
電話番号(代表):042-492-5111
ファクス番号:042-492-2415

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